記録が「宙に浮かない」制度は、どう設計されているのか ― カナダの仕組みを基準に、各国の現状を見比べてみる ―
はじめに:比較のための基準点としてのカナダ
自治体に公文書館がない場合、
その自治体が作成した記録は、最終的にどこへ行くのか。
この問いに対し、各国はそれぞれ異なる制度設計を採っている。
本稿では、その比較のための**基準点(ものさし)**として、
まずカナダの仕組みを確認し、
その上で台湾、英国、米国、スペイン、エストニアの状況を
同じ問いで一国ずつ整理していく。
基準:カナダ ― 複線的な「受け皿」を前提とする設計
カナダでは、自治体が独自の公文書館を持たない場合であっても、
- 州公文書館
- 共同・地域アーカイブ
- 大学アーカイブ
- コミュニティアーカイブ
といった複数の受け皿が制度上想定されている。
重要なのは、
行き先が一つに固定されていないことではない。
どのルートであっても、最終的に誰かが引き受ける前提が崩れない
という点である。
この複線性が、
記録を「宙に浮かせない」安全網として機能している。
比較①:台湾 ― 管理と保存を一体で縛る制度
台湾では、記録管理とアーカイブが明確に分断されていない。
中核となるのは
National Archives Administration, Taiwan
を中心とする法制度である。
- 各自治体に記録管理責任主体を必ず置く
- 保存年限満了後の記録について、行き先を事前に確定
- 評価・移管・保存が一続きの行政プロセス
カナダが「複数の受け皿を用意する」設計であるのに対し、
台湾は法制度によって行き先未定の状態を許さない構造を取っている。
比較②:英国 ― 指定保管機関という明確な答え
英国では、自治体(Local Authority)の記録は、
原則として**指定されたアーカイブ(Place of Deposit)**に移管される。
中核機関は
The National Archives である。
- 自治体が独自に公文書館を設置する必要はない
- しかし、指定保管先が存在しない状態は制度上想定されない
- 行き先が決まらなければ、評価・移管が進まない
カナダの「複線型」に対し、
英国は事前指定による一本化で宙に浮く状態を防いでいる。
比較③:米国(一般論)― 分権国家でも放置はされない
米国では、自治体記録は連邦ではなく州法の領域に属する。
多くの州で、
- 州公文書館
- 州立図書館・歴史協会
- 郡(County)アーカイブ
のいずれかが、
自治体記録の最終的な受け皿、または制度監督者となっている。
カナダほど柔軟ではなく、
英国ほど一元的でもないが、
州が関与しないまま放置される構造は取られていない。
比較④:米国(具体例)― オレンジ郡という実装モデル
カリフォルニア州では、郡が重要な役割を担う。
オレンジ郡では
Orange County Archives
が、郡および地域の記録を引き受けている。
- 市(City)の多くは独自の公文書館を持たない
- 保存年限・評価は州法と郡規程に基づく
- 最終的な保存は郡が担う
ここでは、
郡が「最後の受け皿」になるという、
極めて実務的な解が示されている。
比較⑤:スペイン ― 上位機関が引き取る階層構造
スペインでは、
- 市町村
- 県(Provincia)
- 自治州
- 国
という行政階層に対応した
アーカイブの階層構造が整備されている。
下位自治体が保存できない場合、
上位機関が引き取ることが制度上想定されている。
カナダの「横への広がり」に対し、
スペインは縦の連続性で宙に浮く状態を防いでいる。
比較⑥:エストニア ― デジタル前提で中央が強く関与
エストニアでは、
デジタル前提の行政制度のもと、
National Archives of Estonia
が自治体記録にも強く関与している。
- 自治体が独自の施設を持つことは必須ではない
- 保存要件・形式・移管手続が国家レベルで厳格
- 行き先未定という状態が制度上ほぼ生じない
カナダと比べると、
中央集権的だが責任配置が極めて明確な設計である。
ここまでの整理:カナダを基準に見えてくること
制度の形は国によって異なるが、
カナダを基準に見比べると、違いは次のように整理できる。
- カナダ:複線的な受け皿
- 台湾:法制度による一体管理
- 英国:指定保管先
- 米国:州・郡の関与
- スペイン:上位機関への引き上げ
- エストニア:中央の強い関与
しかし、共通している点は明確である。
記録が保存されない状態を、制度として想定していない
という前提である。
おわりに
本稿では、
カナダの仕組みを基準として、
各国がどのように「記録が宙に浮く状態」を回避しているかを整理した。
ここで重要なのは、
どの国の制度が優れているかを決めることではない。
問いの立て方そのものが、日本とは異なっている可能性である。
この点については、本稿では整理にとどめ、次のブログで改めて考察したい。

