判断と説明責任を考えるすべての方へ ―

なぜ、このブログを書いているのか

企業不祥事、行政の判断ミス、
説明不足による不信や対立。

これらの多くは、
**判断そのものではなく、「判断の根拠が残っていないこと」**から生じています。

後から説明しようとしても、

  • なぜその選択をしたのか
  • 他にどんな選択肢があったのか
  • どこまでリスクを認識していたのか

を示せない。

この状況は、
経営者だけの問題でも、
行政だけの問題でもありません。

説明する側と、説明を受ける側の関係が壊れているのです。

文書管理は、内部の話ではありません

文書管理という言葉は、
どうしても「組織の内部管理」の話として語られがちです。

しかし本来、記録は

  • 経営者が説明責任を果たすため
  • 行政が住民に説明するため
  • 住民が判断を検証するため

に存在します。

記録が残らないという問題は、
内部効率の問題ではなく、社会との関係の問題
です。

経営者の方へ

判断は、結果だけで評価されるものではありません。

  • なぜその判断をしたのか
  • どこまで分かっていて、どこが分からなかったのか

これを記録として残せるかどうかが、
信頼を左右します。

DXやAIを導入しても、
判断の理由を残す設計がなければ、
説明責任はむしろ弱くなります。

住民の方へ

行政の説明が分かりにくい、
納得できないと感じたことはありませんか。

その原因は、
担当者の能力や誠意だけではありません。

そもそも、判断の途中が記録として残っていない
という構造的な問題があるのです。

このブログでは、
行政を批判することを目的としていません。

説明できる行政、検証できる社会をつくるために、
記録がどのようにあるべきか
を考えています。

このブログで扱っていること

このブログでは、

  • 文書管理・公文書管理
  • 判断の記録と説明責任
  • AI活用時代の記録の残し方
  • 海外事例・国際標準(ISO30301 など)

を、制度論でもIT論でもなく、実務の視点から整理しています。

正解を押し付けることはしません。
代わりに、

なぜうまくいかないのか
どこで記録が抜け落ちるのか

を、言葉にします。

最後に

記録は、
誰かを守るためだけのものではありません。

  • 判断した人を守り
  • 説明を受ける人を守り
  • 社会全体の信頼を支える

ためのものです。

このブログが、
**「説明できる判断とは何か」**を考える
小さな起点になれば幸いです。