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記録を残す。必要なものは、心と智恵ではないのか。

元東京市長の永田秀次郎氏をご存知ですか。

2019年NHKの大河ドラマ「韋駄天」で、再び脚光を浴びた「幻の東京オリンピック」ですが、それを招致したのが、当時、東京市長であった永田秀次郎氏です。実は、秀次郎氏は、関東大震災(1923年)時の東京市長でもありました。

関東大震災で、とりわけ犠牲者の集中したのが、陸軍本所被服廠跡地(現、墨田区横綱町 横綱公園)ででした。陸軍本所被服廠跡地では、約3万8千人が四方を火に囲まれ亡くなっなりました。死体は山と積まれました。猛暑が続いて腐敗してきたため、止むを得ず市長の判断で死体の山にガソリンを流し合同荼毘に付しました。このことを秀次郎氏は生涯忘れることはなく、市長を退任した後、退職金を全て投じて高野山に震災霊牌堂を建立し、そこに三年掛かりで判明した氏名を書いて保存し、冥福を祈っています。

1万年タイムカプセル計画

関東大震災の犠牲者名簿の1万年保存を目指し、秀次郎氏は、タイムカプセル計画を主導し、実現し、高野山奥の院の霊牌堂で、紙とタイルでの保存が続いています。
詳細には、公益社団法人 日本文書情報マネジメント協会 機関誌IM 「高野山に眠る関東大震災犠牲者名簿 ~1万年タイムカプセル計画~」掲載しております。ここでは、以下に技術的な点を抜粋します。
~~~~~~~~~~~~~~~抜粋~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~(1)タイルでの保存
陶器は秀次郎氏の郷里の淡路島の淡陶社製造のタイルで、1面75名、両面150名の名前を書いた。タイルは、霊牌堂の地下室、高さ約1.5mの中に収められている。タイルについては、2013年から東京芸術大非常勤講師 坂口英伸氏が調査を進めている。
(2)紙での保存
紙については内閣印刷局が特別に研究・用意した紙に犠牲者の名を墨で記した。紙は幅九寸(27.3cm)×長さ二尺三寸(69.3cm)、枚数548枚、総重量2貫七百匁(10.1Kg)であった。これを4つに分け、表面に石綿のテープを巻き付けた水晶瓶に、鉛円筒、さらに合金の筒で覆った特殊な三層構造の容器に収めた。空気を抜いた上で保存に適したアルゴンガスを注入し、経年劣化しないよう工夫を重ねた。この保存作業を行ったのは川崎にあった東京電気株式会社である。
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超長期保存用に不活性ガスを利用した技術の先進性

ここで、驚愕するのが、文書の超長期保存に不活性ガス利用したことです。世界でも先駆的な事例であり、世界初であったと推測します。日本で長期保存に不活性ガスを利用できることが一般に知られたのは、EXPO’70のタイムカプセルからであり、アメリカの独立宣言書が、不活性ガスに封印されたのは、2003年のことです。

何故、そんな先進的なことができたのか

私は、一番の理由は、秀次郎氏の心、誠意というところにあると考えます。どうしても長く保存するんだ、できるだけのことをやってあげたいという心ですね。それに対し、アドバイスをしたのが岡野昇博士を会長とする「智恵の会」であり、実際の製作にあたった東京電気会社 八巻升次技師 達が、秀次郎氏の想いに、「智恵」で、応えたということだと考えています。

今、ビジネスに取り組んでいる皆様には、このような先人の姿勢を参考にして頂き、常に、最新の知恵をもって記録の保存にあたって頂ければと思います。時に、技術的には古新聞になった業務規程を見直すこともせず、従前にやり方を頑なに変えない方や、クラウドに任せれば安全という方を見ることがあり、大変心が痛みます。

文書戦士
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